「天才」と「秀才」はどちらも優れた人物を指す言葉ですが、この2つの違いは何かご存知でしょうか。また「天才」と「秀才」ではどちらの方が優れているのか、どちらの方が上なのかも気になるところですよね。
この記事で、「天才」と「秀才」の違いについて見ていきましょう。
「天才」と「秀才」の違い

「天才」と「秀才」の違いは以下の通りです。
- 「天才」:生まれつき備わった、人より優れた才能を持つ人物のこと
- 「秀才」:通常の人より優れた、秀でた才能を持っている人物のこと
「天才」と「秀才」の違いについてとても分かりやすいのが、先天的か後天的かの違いです。
「天才」とは生まれつき備わった優れた才能を持つ人物のことであり、「秀才」とは本人のそのたゆまぬ努力の結果、通常の人より優れた、秀でた才能を獲得をした人物のことを指します。天才は天からの先天的、秀才は自身の力による後天的と解釈しておくと分かりやすいと思います。
また、「天才」は感覚的、「秀才」は論理的に判断をするとも言います。
「秀才」は論理的に物事を判断し、学力などで他人よりも秀でた能力を開花させます。一方で「天才」は感覚的に物事を判断し、その才能を発揮していきます。テレビなどでいわゆる「天才」と呼ばれている人たちの言動には、理解できない部分が多々ありますが、そういうことです。
「天才」「秀才」とは

「天才」について詳しく
「天才」とは生まれつき備わった、人より優れた才能を持つ人物のことです。
「天才」は文字通り、天に与えられた才能のことです。
人の努力ではたどり着くことができない、年が若いにも関わらず、優れた才能をすでに持っている人のことを指し、スポーツ、学問、芸術などのあらゆるジャンルで飛び抜けた人物に対して使われます。
ただ、「天才」というのは聞こえは良いのですが、ある分野に飛び抜けた才能を持っていますが、その他に関しては特に劣っていたり、価値観なども他の人と比べると非常識であることの方が多いようです。
また「天才」は死後に認められるというケースもあり、その代表には画家の「フィンセント・ファン・ゴッホ」などがいます。彼は生前は全く売れない画家でしたが、死後には一流の画家として名を馳せています。
「秀才」について詳しく
「秀才」とは通常の人より優れた、秀でた才能を持っている人物のことです。
「天才」と似ていますが、「天才」は生まれついた時から備わっている才能を持っている人物のこと、一方で「秀才」は、本人のたゆまぬ努力の結果、通常の人より優れた、秀でた才能を獲得した人のことを指します。
「秀才」という言葉は、中国で長らく行われてきた「科挙(かきょ)」という制度から生まれた言葉です。「科挙」は受験資格を問わない官僚登用試験のことで、3000倍に近いその倍率を争い、その狭き門を突破するためには多くの勉強と知識が必須となっています。
そして、その「科挙」の中でも難しいとされている「秀才科」から、その試験を突破した人をのちに「秀才」と呼ぶようになったそうです。ある意味では「努力の天才」が「秀才」なのかもしれません。
「秀才」の対義語には「劣才」や「鈍才」といった言葉があります。
「天才」と「秀才」はどちらが優れている?

「天才」と「秀才」はどちらが優れているのかについては、時と場合により、どちらが優れているのかは一概には言うことはできません。
世間一般では「天才」の方が優れているようなイメージですが、「天才」が「秀才」を凌駕することもあれば、その逆の、「秀才」が「天才」を凌駕することもあります。
また、その人の視点によってもどちらが優れているのかは変わってくるので、「天才」と呼ばれる人たちは周囲からの批判であったり、変な目で見られることが多いのでそういう意味では「天才」の方が不利なのかもしれません。
「天才」と「秀才」の違いは何?まとめ
「天才」 | 【意味】生まれつき備わった、人より優れた才能を持つ人物のこと 【備考】「天才」はある分野のみに突出した才能を持っており、それ以外は特に劣っていたり、性格が非常識であったりすることが多い |
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「秀才」 | 【意味】通常の人より優れた、秀でた才能を持っている人物のこと 【備考】「秀才」は本人のたゆまぬ努力の結果によって秀でた才能を獲得をした人のこと。中国の「科挙」の「秀才科」が語源 |
「天才」と「秀才」の違いについて見ていきました。それぞれ似たような意味ではありますが、根本的な意味は異なっており、先天的か後天的かの違いか感覚的か論理的か、その考え方に違いがありました。
今から「天才」にとはいきませんが、努力をして「秀才」になれるように、できることからやっていきたいですね。


